2019年7月に公開された映画「天気の子」
俺は初日に観に行って、小説を買って読んで、1か月経って2回目を観に行って…。
先日はついに舞台挨拶にも行けて、合計3回観たことになりますね。
映画「天気の子」は何度も観に行きたくなってしまうんですよね。
1度観ると「あれはどういうことなんだろう?」と疑問が湧いてきて、それを消化して理解して、再び確認をするというか。
そして改めて観ると、新たに考えることが出てきて…。
俺にとってはそんな作品でした。
解説ってほどではないんだけど、俺が勝手に思ったことや考察のようなものをまとめておきます。
あくまでも俺の個人的な感想ですので、当たってるとか当たってないとかではないです。
この文章の全てがネタバレと言っても過言ではないので、これから観る人は読まないようにしてくださいwww
また、なんか思いついたらどんどん追記していきます。
小説とサントラで理解が深まる
「天気の子」の場合、映画も小説もストーリーは全く同じです。
ただ、小説はその性質上、より多くの情報を文字で伝えてくれます。
小説は映画の解説書のような感じかな。
映画だけではどうしても限界があるので。
小説では、登場人物の心情や風景がより細かく描写されています。
特に須賀さんや夏美さんの心情はわかりやすかったですね。
そういった小説内の描写も踏まえてこの記事を書いています。
より詳しく「天気の子」を理解したいという方は、小説版もホントおすすめです!
あと、映画「天気の子」はRADWIMPSが作っている音楽もかなり重要。
原作というかプロットを元に音楽を作って、それを聴いた新海誠監督がさらに場面を作って…。
というようなこともやっているみたいです。
特にラストシーンは、音楽があったからこそできた場面のようです。
俺も歌詞を聴いてわかったこともありますし、単純にサントラとして聴いてるだけで映画のシーンが蘇ってきて浸れます!
陽菜の年齢に関する考察
陽菜の年齢詐称は物語の大きなポイントです。
そして繰り返し観たくなる要因の1つでもありますね。
一昔前、アメリカの映画で「シックスセンス」という作品がありました。
これは最後のオチを観たら、もう1回見直したくなる作品なんですよ。
それと同じで、「天気の子」も陽菜の年齢が分かってから、改めて観ることでいろんな発見を楽しめます。
実は映画の最初から、年齢に関する小さな伏線が色々散りばめられているのです。
伏線というほどでもないですが、意識して見直すと本当の年齢に関する表現が多いことに気づきます。
それを簡単にまとめてみます。
インタビューでの内容
K&Aプランニングに入った帆高が、夏美と一緒に取材に行くシーン。
占い師だけ長めに尺を取っていますが、占い師が言っているのはあくまでも人柱のフラグになるもの。
それ以外の手短に切り替わるインタビューの中で、「噂の晴れ女は中学生っぽい」雰囲気が表現されています。
確かセリフとしても誰かが「中学生」って言ってたような?
夏美のメモでもはっきりと「中学生」と書いています。
小説版だとそのあたりがより詳細に書かれていますね。
占い師もそうなんですが、序盤の晴れ女絡みの話の大部分が陽菜のことをやんわりと表しているのです。
マクドナルドをクビになった理由
これは陽菜をチンピラから連れ去った後に、廃ビルで明かされる内容。
帆高にハンバーガーをこっそりあげていたからクビになったわけではないのです。
ここで陽菜はクビになった理由を濁していますが、おそらく中学生だったのがバレたからでしょう。
また、その直後に廃ビルの屋上で晴れ女の力を使ったとき、帆高に対して「来月で18歳」と答えています。
答える前に一瞬の躊躇いがあるんですよね。
これもまた嘘をついていることを示すシーンです。
陽菜の家に行ったときにすれ違った人たち
帆高が初めて陽菜の家に行ったときに、アパートの入り口付近で女性2人とすれ違います。
この2人は超重要人物!
「2人だけなのはちょっと…」的なことを言っているんですね。
それはもちろん陽菜と凪のことです。
これは「中学生の姉と小学生の弟の2人だけで暮らしているのは良くない」ということ。
おそらく児童相談所などの施設の職員が調査に来ているという場面です。
これが後に、警察官が訪ねてくるシーンにも繋がっています。
おそらく上記の女性が警察に伝えたのでしょう。
映画の後半で、刑事が帆高を探しているだけでなく、女性警官が陽菜に対して子供だけの生活を心配する発言をしています。
改めて児童相談所の方と一緒に訪ねられたら、確実に連れて行かれるだろうと察した陽菜は家を出ることを決意するのです。
チンピラのセリフ
これはあまり自信がないのですが…。
刑事に追われていたチンピラが「未成年だとは知らなかった」と言っています。
おそらく陽菜は年齢を偽っていたのでしょう。
そこで18歳だと偽っていても未成年に違いはないのですが…。
わざわざこのセリフを出しているのは、見方によっては、陽菜が15歳というのをわかった上で水商売で働かせようとしてたとも考えられます。
その若干の根拠は、帆高が最初にバイトを探しているシーンで、風俗のボーイなら年齢関係ない、みたいな書き込みを受けて実際に面接に行っています。
結果的には断られてはいますが、18歳未満であってもそういったところで働ける可能性があることを暗に匂わせていたのかもしれません。
視聴者に近い存在の須賀圭介
主人公の2人以外に特に重要な役割を担っているのが須賀圭介。
まず、夏美が「帆高くんと圭ちゃんが似ている」という旨の発言をしていることを念頭に置いておく必要があります。
さらに夏美は「(帆高が)自分に(須賀さんに)似ていてほっとけなかった」という指摘もしています。
須賀さんは、不慮の事故で奥さんの明日花を亡くし、娘の萌花は明日花の実家にいて自由に会えない状態です。
萌花を引き取るためにタバコを止めて、目をつけられないように帆高を追い出して…。
とにかく萌花のために生きているのです。
2回目を観たときに気づいたこととしては、初めて帆高がK&Aに行った時から階段下に萌花の三輪車が描かれていたこと。
須賀さんの人となりをある程度知った後に、最初のシーンのそれはまた違った印象を受けます。
須賀さんの亡き妻・明日花への想い
もちろん萌花を愛しているんですが、そこにはやはり明日花の影を重ねているからこそ、というのもあるでしょう。
明日花への想いが表れている描写としては…。
・K&Aプランニングの名前の由来
明示されてはいませんが、圭介&明日花でしょう。
・2つの指輪
須賀さんは、左手の薬指に2つの指輪をつけています。
これはおそらく自分のものと明日花のもの。
映画の中でも、萌花に重ねて明日花を想うときに触れているのがわかります。
・冷蔵庫のメモ
物語終盤で安井刑事がK&Aに来たときにわかります。
冷蔵庫中に明日花のメモが貼ってあり、それを捨てられない須賀の心情を表してますね。
それだけでなく、柱のキズなども含めて須賀さんの涙を引き出すシーンです。
須賀さんが廃ビルに行ったシーン
上記の安井刑事がK&Aに行った後、場面は廃ビルのシーンに変わります。
ここで俺が気になったのは警察官による「マル被の車を発見」というセリフ。
これも実はかなり重要だと思いますね。
マル被とは被疑者のこと。
つまり、この時点で須賀さんはあくまでも未成年誘拐?の被疑者なのです。
安井刑事がK&Aに行った時に、帆高が警察署から逃げたということを須賀さんに伝えています。
それを聞いたら須賀さんは帆高を説得に行くだろうと踏んで、警察官たちが車を追跡した結果、廃ビルに辿り着いたということでしょう。
須賀さんは可哀想なのか?
須賀さんは、最後の最後で帆高の手助けをして逮捕されてしまいます。
その結果、おそらく萌花の引き取りは完全に白紙。
2年半後もたまに会えるぐらいの生活のようです。
須賀さんは大人の立場として、冷静に常識的な振る舞いをしていました。
しかし、夏美のセリフにあるように、おそらく本来の須賀さんは帆高と同じタイプの熱い人間。
帆高を追い出したときも、苦しさ故に止めていたタバコに手を出してしまっています。
また、帆高が警察から逃げ出したと知った後に、安井刑事の前で自分でも気づかないうちに泣いています。
陽菜のためにそこまで熱くなれる帆高と、明日花の面影を追う自分が重なってしまったんでしょう。
そして最後の廃ビルのシーンでも、あくまでも大人の立場で帆高を止めます。
しかし、帆高の「もう一度、あの人に会いたいんだ」という叫びを受けて須賀さんは変わります。
俺としては、変わったというより本来の熱い男に戻ったと解釈していますが。
須賀さん自身はもう明日花に会えない故に、陽菜に会いたいという帆高の気持ちが強烈に胸に刺さったんでしょうね。
冷静に考えると「あ〜須賀さん、やっちまったぁ…可哀想に…」という感想になるんでしょうけど…。
下の拳銃の項目でも書いた通りなんですが…。
ここでは、この作品の主題のようにのしかかる「反社会性と自分の想い」を鮮やかに描いています。
まさに、テーマソングであるRADWIMPSの「愛にできることはまだあるかい」です。
たとえ反社会的であっても、愛故にできることを限界まで突き詰めた帆高と須賀さん、そして凪の熱い想いが重なる名シーンだと思いますね。
須賀さんの役割
須賀さんは、視聴者に一番近い立場でもあります。
みなさんにも、娘という存在でなくても、社会的な立場など守るべきものがあるはず。
自分だったらどうするだろうな〜と考えた時にやはり守りに入ってしまうのが普通の大人。
須賀さんのセリフ通り「大事なものの順番を入れ替えることができない」のです。
須賀さんは、視聴者が天気の子という作品の世界に入り込むための、フィルターのような役割だと思います。
映画の中の重要アイテムについて
拳銃を描くことで表したかったこと
この作品において異彩を放っている道具が「拳銃」です。
天気の子の世界観において、明らかに不釣り合いなんですよね…。
伏線というほどではないけど、映画の最初の方のシーンに、街の大きなモニターに拳銃関連のニュースが流れています。
これによって、帆高が拳銃を拾ってしまう可能性を匂わし、最終的に銃刀法違反で警察から追われることを半ば無理やり正当化しています。
俺は、この拳銃に大きな意味を感じています。
拳銃の発砲は攻撃性や反社会性の象徴として描かれているのではないでしょうか。
帆高が発砲した時の状況は、共に「陽菜のことを想っている」ときです。
最初の発砲はチンピラから陽菜を連れ出すとき、2回目の発砲は陽菜に会いに行きたいけど止められているとき。
つまり、この拳銃の発砲が意味していることは…。
「たとえ反社会的な行動だとしても、それでも陽菜と共に生きるんだ!」
という強い意志なんじゃないでしょうか。
それはこの「天気の子」の主題にも近いです。
「たとえ雨が止まない世界になったとしても、それでも陽菜と共に生きるんだ!」
というのに似ていますよね。
つまり、ファンタジーとしての反社会性を止まない雨で表して、現実的な反社会性を拳銃の発砲で表しているのではないかと解釈しています。
自分の立場を危うくするだけでなく、周りの人間をも巻き込んで、それでも陽菜を想う気持ち。
また、それを理解できない警察官たち、感情的には理解できるけど理性の狭間で揺れる須賀さん、などと対照的です。
現実的な反社会性として象徴的に描かれているのが拳銃なのです。
逆の言い方をすると、陽菜と過ごしている時の帆高は拳銃を持っていないですよね。
心が平穏である時は、反社会性や攻撃性の象徴である拳銃とは無縁なのです。
チョーカーが意味するものは?
陽菜が身につけている特徴的なアクセサリーが、雫のチョーカー。
冒頭の病院のシーンで陽菜のお母さんがブレスレットとして付けているものですね。
つまり形見と思われるこのチョーカーは、さりげなくかつ大胆に描かれています。
そして、帆高と陽菜が雲から戻ってきて鳥居で倒れているシーンで、そのチョーカーは切れています。
単純に考えれば、陽菜が空との繋がりがなくなったことを意味しているのでしょう。
逆を言えば、それまでは晴れ女として人柱として、身体を空に縛られていたわけです。
雫というのもいかにも雨と関係ありそうですし。
それを表すアイテムがこのチョーカーだったんでしょうね。
すごく深読みをすると…。
もしかしたらお母さんが先代の晴れ女だった可能性もあるのかもしれません。
2年半後のラストシーンに垣間見えるそれぞれの成長
ラストシーンは2年半の月日が経っています。
ここでは帆高や陽菜の成長はもちろん、他の登場人物の成長も垣間見えます。
雨は止まないけれど、それに負けない人々や街の変化を楽しむパートですね。
帆高の身長が伸びた意味
ラストシーンは、2年半の月日が経っています。
そこで、帆高と陽菜が再会するシーンでは、帆高の身長が伸びているのがわかります。
単純に月日の流れを描きたかったわけではないでしょう。
ずっと年上だと思っていた陽菜が、実は年下だったと知った帆高。
2年半前の雲の中のシーンあたりから、陽菜のことを呼び捨てにしています。
これは帆高のお兄さんとしての自覚の表れです。
再会のシーンでも、陽菜は「大丈夫?」と帆高のことを気にかけています。
しかし、帆高はそれに甘えることなく「僕たちは大丈夫」と返しました。
そして、RADWIMPの歌詞にも書かれている「君の大丈夫になりたい」という気持ち。
このラストシーンでは、身長が高くなったという身体的な成長だけでなく、その中の精神的な成長も感じ取らなければなりません。
あの反社会的だった帆高が大学に通うなんて!
というのもなかなかの衝撃的な成長ですwwwww
また、大学では、天候の変化が影響を与えるであろう農業系?の学問を勉強しているのもわかります。
陽菜が制服を着ていた意味
ラストシーンで、陽菜は制服を着ています。
これは帆高の身長が高くなったことと対照的だなと思いました。
凪がフットサルコートで言っていたように、陽菜は普通の女の子らしい生活ができていません。
それは両親がいないこともそうでしょうし、空と繋がっていた人柱としてもそうかもしれません。
おそらくあの後、児童相談所のような何らかの施設にお世話になったんだと思います。
そこで、少し重荷から解放されて、普通の女の子らしい生活ができるようになったんじゃないかなと。
それを象徴的に表しているのが制服だと思います。
「天気の子」と「FF10」の類似点と相違点
俺はFINAL FANTASY X(FF10)が好きなんですが…。
天気の子を初めて観たときに、FF10と似てるなーって思った点がありました。
知らないが故に
FF10では、シンを倒す(世界を救う)ためにユウナが旅をします。
しかし、シンを倒すということはユウナ自身も死んでしまうのです。
旅の道中で、それを知らないティーダは無邪気に「シンを倒そう!」と意気込むわけです。
もちろんユウナがそれをビビっているわけでもないですが、その度に何らかの圧力や切なさは感じていたでしょう。
さて、話を戻します。
天気の子では、晴れにするたびに人柱である陽菜の身体が透けていきます。
そして最終的には消えてしまいます。
池袋のホテルで、陽菜が帆高に聞きます。
「雨が止んで欲しいと思う?」
陽菜が人柱であると知らない帆高は答えます。
「うん。」
その瞬間、雷の音が響いて部屋の照明が点滅…。
これは空と繋がっている陽菜の気持ちそのもの。
帆高が晴れを望んでいると知って、ショックじゃなくておそらく覚悟に近い感情というか…。
俺はこのシーンが一番好きですね。
天気の子の全てが詰まっているような、そんな気がしてならないです。
真実を知った後は
その後、陽菜自身によって人柱であることが明かされます。
真実を知った時のティーダや、陽菜がいなくなった時の帆高の取り乱し方もまた近いものがありますね。
ところが結果は異なります。
ティーダは苦労しながらも、シンを倒す(世界を救う)のとユウナを守るのを同時に達成します。
しかし、ある意味ティーダ自身を犠牲にしてしまいます。
帆高は、自分と陽菜を優先して世界を壊してしまいます。
ティーダの方が完璧ですが、ファンタジーとして出来すぎてますねwww
帆高の方がどこか現実的なリアリティがあります。
恋愛のために、世界とまで言わなくても友達や仕事などを犠牲にしたことはありませんか?
Weathering With Youに込められた意味
天気の子のサブタイトルというか英語タイトルは「Weathering With You」となっています。
weatherが天気という意味なのはなんとなくわかりますが…。
名詞にingはつけない!と中学生の時に習った気がします。
つまり、動詞weatherにingがついた形になっているのです。
そこで動詞weatherの意味を、オンライン辞書のweblioで調べてみると…。
1〈…を〉風雨にあてる,外気にさらす; 干す
2〈あらし・困難などを〉切り抜ける,しのぐ
3【地質】〈岩石などを〉風化させる 《★通例受身で用いる》
4【航海, 海語】〈船が〉〈…の〉風上を通る
2の意味が良さそうですね。
「Weathering With You」の意味を「あなたと一緒に困難を切り抜ける」とするとなんかそれっぽい!
3人で警察から逃げているシーンもそうかもしれないですけど、やはりラストシーンの方がぴったりきますね。
沈んでいく東京に対して「2人で困難を切り抜けていく」と解釈すればこの副題タイトルはお見事です。
「天気の子」考察のまとめ
他にも書きたいことがたくさんあるのですが…。
たくさんあって一気に書き切れないので、まとめたら追記していきます。
コメント